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コチア青年連絡協議会について

コチア青年連絡協議会=歴代会長名

初代=山口節男、第二代=山崎朝次郎、第三代=前園敏之、第四代=友保山司、第五代=瀬尾正弘、第六代=山田充伸、第七代=堀内公人、第八代=上見孝三、第九代=芹川弘、第十代=前田光義、第十一代=山下正昭、第十二代=山口節男、第十三代=芦川博、第十四代=吉泉秀三、第十五代=小林利博、第十六代=益田照夫、第十七代=桜井金夫、第十八代=神取忠、第十九代=黒木政助、第二十代=永山八郎、第二十一代=香川公宏、第二十二代=高橋一水、第二十三代=山下治、第二十四代新留静、第二十五代村田重幸、第二十六代前田進(現在)=(敬称略)

出所  ニッケイ新聞

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ご挨拶​

1955年9月15日、コチア青年109人をのせた「あめりか丸」がサントス港に到着したのを皮切りに、戦後移住者としては最大の集団である2508人が海を越えた。当時18歳から25歳だった〃青年〃らも今では80歳前後となり、今までの総決算といえる式典になりそうだ。
 10年前に行われた50周年式典では連絡協議会の黒木政助元会長が、「パトロンたちは親代わりになって、我々にコチア産組精神や下元イズムを伝えようとしてくれた。コチアの貢献は末代まで不滅です」と熱弁を振るって、会場に感動を呼んだことは記憶に新しい。
 華々しい首都での式典に続き、60周年式典が開かれました。多くの仲間が集って旧交を温め、子孫へ想いを託す機会になりました。

出所  ニッケイ新聞

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会長​
​前田 進

日伯つなぐ我らの歴史=夢と希望抱いて海越え=コチア青年連絡協議会 会長 前田 進

 

コチア青年移住第一陣109名が、大きな夢と希望に燃えて養国ブラジルの大地に一歩を記して60年の歳月が流れた。ここで我々、コチア青年の生い立ちを振り返って見たい。
 コチア産業組合は戦後の労働力不足による組合員農家の生産力減退を防ぐことと、既にサンパウロ市周辺の農業は、略奪原始農業から集約的農法に転換を余儀なくされており、技術的に進んだ農業労働力を要求されていた。
 祖国日本では耕す土地も無く、働く場所のない青年をブラジルに呼び寄せたら日本の農村人口の過密も解消し、農業経済の向上、コチア産業組合の良き後継者と発展、ひいては世界的な食料事情の改善が期待される。
 こうした目的のために、日本の戦後の混乱期にコチア産業組合と全国農業協同組合中央会との業務提携により、コチア青年は誕生した。
 農村の18歳から25歳までの独身青年、これは今昔、類例のない斬新な移住形態の試みの始まりで、日伯双方で注目を浴びた。
 毎年500名ずつ、3カ年で1500名を送り出すと言う、日本の農村に新しい道が拓かれた。
 コチア産業組合では、下元健吉専務の陣頭指揮のもと、1955年3月、移民課を新設、山中弘氏を課長として万全の受け入れ体制がしかれた。
 こうして1955年9月15日、109名の青年がアメリカ丸でサントス港着を皮切りに1958年7月まで第1次だけで16回の募集がなされ、1519名がコチア産業組合員農家に配属された。その後、第2次も3カ年で1500名の申請が承認され、1959年2月3日から単独青年移住だけではなく若夫婦も加えた移住が始まるが、日本の景気の上昇のため、移住希望者が減少、契約期間の1962年2月まで680名と契約人数の半数にも達しなかった。
 それでもコチア産業組合は許可数に達するまで導入を継続する許可を得、1967年1月10日着の最終移住11名が到着し、13年間の52航海で総勢2508名のコチア青年が誕生し、夢と希望に燃えてブラジルの大地に羽ばたいて行ったのであります。
 以来、苦節60年、筆舌に尽し難い幾多の苦難、苦闘の試練を乗り越え、やがて独立し、次第に事業基盤を堅固にして行ったのであります。
 今では立派な後継者も育ち、その大半が家督を継いでおります。
 その後、後継者達も既に中堅層となって農業界は勿論、社会のあらゆる分野で活躍し、ブラジルの国政、社会経済、文化の発展のため貢献していることは、移民の定義(前海外移住事業団設立10周年に成文化された)「個人の自由な意思と責任において、外国へ生活の本拠を移し、個人の開発能力を発揮して可能性に挑み新しい人生を創造しつつ、受け入れ国において善良かつ敬愛される市民、又は住民として適応、発展することをめざす」を乗り越えたと自負するとともに、私共の誇りでもあり大きな喜びであります。
 しかし、一方で雄図半ばにして空しく倒れた不幸な同志がいた事を決して忘れてはなりません。
 この度、コチア青年移住60周年記念式典のキャッチフレーズは、コチア青年ファミリーの祭典として関連行事もコチア青年の集大成、及び次世代継承の意味合いを強く打ち出しました。
 60周年記念誌の発刊に合わせて、コチア青年の足跡で歴史的に重要と思われるものを集大成して、ポ語による記念誌発刊から、本拠地となるであろうコチア青年の広場、これはコチア青年の溜り場となり、親睦、趣味を兼ねた集える施設として建築中であります。
 この中には記念碑及び胸像、慰霊碑、記念樹(60周年記念桜60本を含む)集合場所、茶室、庭園等が付随して居り、行く行くは二世、三世の溜り場となり、二世の会にバトン・タッチ出来ると期待しており、日本文化の普及と伝承に貢献出来ると思います。
 最後に、この60年を皆様とともに乗り越え祝えた事を誇りに思い感謝しております。

 

出所  ニッケイ新聞
 

相談役
村田​ 重幸
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事務局長​

屋良 セルジオ 照夫

admin@cotiaseinem.org

tel: +55-11-3031-5934

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